細田 守 監督作品「未来のミライ」
公開された当初から賛否が凄く分かれてたこの作品.
「子育て観を押し付けられているように感じる」とか「話が子供だましでつまらない」とか主にこういう感想が凄く多い.
でも筆者的には割と好きな作品だったりする.(私が今現在,人生においてこの作品のテーマをもろに感じる時期なせいもあるかもしれないが)
そこで今回はこの映画が言いたいことを解説するとともに,レビューをしていきたいと思う.
目次
- アイデンティティの喪失と再生の物語
- まるで絵本のような話運び
- 親の見てないところで子供は育つ
- 早い話が「細田版となりのトトロ」
アイデンティティの喪失と再生の物語

この映画,つまりは
「クンちゃん」という唯一無二の「家族のアイドル」が,そのアイデンティティを失い,
「ミライちゃんのお兄ちゃん」という新たな存在意義を見つける話なのである.
妹の「ミライちゃん」が生まれることによって,「お父さん」と「お母さん」からの愛を失ったように感じてしまったクンちゃん.
だがクンちゃんは物語の中で,未来からやってきた「ミライちゃん」の導きによって次第に自分が何者なのかを認識していくことになる物語だ.
よくこの映画の批判としてある
「子育て観や家族のカタチを押し付けられているように感じる」という感想は,長子が避けて通れない宿命や子供の成長,親の成長はこうあるべきという説教クサい話として取られてしまう場合が多いからだと感じる.
だが,実際この映画の主張はそんなことでは無く,価値観の押し付けなどでは無い(パンフレットを読んでれば分かる).もっと人生において普遍的なこと,「アイデンティティの喪失と再構築」なのである.
皆さんも,「自分自身が何者なのか」「今,どうあるべきなのか」といった疑問を人生において何度も抱いたことがあるだろう.この映画のテーマはまさしくソレだ.
子供視点で描かれることや,家族が舞台になっていること自体は,このテーマを描くためのひな形に過ぎない.今現在,細田監督にとって一番タイムリーな「アイデンティティの喪失と再構築」の物語を子育てに見出したというだけなのである.
まるで絵本のような話運び

子供にとって絵本とは,1位,2位を争う重要なメディアだ.
小さいころに抱く恐怖,喜怒哀楽,それらを絵本から学ぶことは多いはず.劇中のクンちゃんも絵本にかなり影響を受けている様子だった.
この映画はよく「子供だまし」のような批判を受けることがあるが,それはまさしく
この物語が「絵本」だからだ.
ご先祖様や過去の母親との出会い,その一つ一つからクンちゃんは大事なこと学んでいく.子供にとって,それは一冊一冊の絵本から喜怒哀楽を学んでいくこととほぼ同じこと.
だからこそ物語は敢えてできるだけ断片的に,オムニバスのように進んでいく.
子供視点で描かれるからこそ,子供が感受しやすいカタチの物語として作られているのだ.
親の見てないところで子供は育つ
「子育て観,家族間の押し付け」みたいな批判が多いことと,決してそれが目的ではないことは前に述べた通りだが,
この映画の中で唯一,監督が「子供とはこういうものだ」と明確に主張していることがある.見出しの通り,
「親の見てないところで子供は育つ」ということだ.
この映画の中で,現在の「お母さん」や「お父さん」は完全に外野だ.
少なくともクンちゃんに対してはあまり親らしいことはしていないように感じる.結局成長したのはミライちゃんの導きとは言え,クンちゃんの自力なわけだし.
だが,この映画の中で一番大事であるといっても過言ではないシーンでは,「お母さん」が一番重要な役割を担っている.
・中盤の展開

中盤,過去のお母さんに会いに行くシーンがある.
昔のお母さんはイタズラッ子で,親がいないスキにクンちゃんを誘って散らかし放題.
「お母さん」のお母さん,つまりクンちゃんのおばあちゃんが帰ってきたとたん,案の定怒られる始末.そして現在に戻り,お母さんは過去にイタズラして怒られたことをおばあちゃんと一緒にアルバムを観ながら振り返る.
その中にはなぜか回想に登場しなかった弟,つまりクンちゃんのおじさんの存在が語られる.
コレ,つまり完全に今のクンちゃんと同じ境遇なのだ.
お母さんは弟が出来たころ,クンちゃんと同じように「兄弟コンプレックス」を持ち,親に構ってもらえないうっぷんをイタズラで晴らしていたのだ.
だから「弟と仲が良かった」みたいな話題になりながらも,子供のころの回想には弟は出てこない,クンちゃんの目には自分勝手な理由で,親に迷惑をかける幼い母親の姿だけが映る.
・無限の可能性で見て,聴いて,成長する
親や先祖,未来の自分自身の「弱さ」をタイムスリップで垣間見ながら成長するSF的な話として描かれるが,
これは細田監督が子育てを通して感じた,子供の無限の感受性のメタファーだ.
実際の子供を見ていてもそうだ.周りの環境や親の考え方,かすかな言動から物凄い吸収力で自我を形成していく.
つまり
「大人には理解の及ばない世界(親の見ていないところ)でこそ子供は爆発的に成長する」という子供の可能性を描いた物語なのである.
未来の妹として出てきた「ミライちゃん」が何者だったのか,なぜタイムスリップが出来たのか,といったことは劇中で何も説明がない.それは全て子供にしか理解できない世界での出来事だからだ.
敢えて説明しないことこそ,監督が自ら感じた「子供の世界」の証明なのだ.
早い話が「細田版となりのトトロ」
「こういう話どっかで見たなぁ」と思ったが,
「となりのトトロ」だ.
というかこの映画を見て初めて,トトロが「親の見てないところで子供は育つ」を描いた話なのだということに気付いた.
かなりトトロを意識した部分はあるかもしれないが,逆に言えば子育てを経験した親の「子供観」の行きつく先は同じだということなのかもしれない.
まとめ
解説というよりは,「『押しつけがましい映画』『親バカが作った映画』というようなそんな作品ではなく,明確なテーマを基に作られた作品なんだっ」
という映画の擁護記事のようになってしまったが,本当に「アイデンティティを取り戻す」と「子供の感受性の可能性」を見事にマッチさせた素晴らしい映画なのは確かなことだ.
この記事で述べたことを心にとめてもう一度,この映画を見る機会を得ていただければ幸いです.