SWEP9邦題「スカイウォーカーの夜明け」に決定,どこからツッコめばいい?

「スターウォーズEP9」の邦題が「スカイウォーカーの夜明け」に決定した.

「ダサい」「長い」「今さら?」

といろいろ総ツッコミを入れたくなるが,今一度グッとこらえて色々考えを述べていきたい.

また恐らくSWがディズニー傘下になってからやりたかったであろう,ユニバース化に失敗(個人的にだが)してるようにみえること

行き当たりばったりの制作体制がもはや漫画の週刊連載化していることについて考えていく.

 

「スカイウォーカーの夜明け」ってダサくないですか?

別にいい,感じ方なんて人それぞれだ.カッコいいと思う人もいるだろう.
僕は思わないが(大人げねぇ).



「Rize of skywalker」

という原題が出た時から薄々思っていた
「これの邦題は確実にダサくなる」と

そして案の定だった.邦題はダサくなるというジンクスは昔からあるが,その魔の手がスターウォーズにまで伸びてくるとは…。

そもそも現代からしてダサい.
「ジェダイ」だとか,「帝国」「フォース」みたいな作中固有名詞を題名に入れることはこれまでにもあった.それ自体を否定するつもりは無い.

ただ,「スカイウォーカー」って,なんか違う.
なぜそう思うのか,世界観が小さく見えるのだ

もちろん作中において「スカイウォーカー一族の栄華と衰退」は常に物語のメインストリームである.「帝国の栄華と繁栄」と共にあった.

そのルーツをめぐり,原点に立ち戻る,何かそんな話になることはだいたい予想はつく.だけどメインは宇宙の調和だったり,フォースの安定の話だったり銀河規模の話だ.
けっして「スカイウォーカー一族のイザコザが全ての現況で,それが解決すれば万事解決なんだよ」ってことでは無い.


「スカイウォーカ―一族の話なんです!!」

と副題にまで描いてグイグイ主張されると,「話のスケール,ちっさ」っとなる.
そういうことって文字にしちゃダメな気が.映画なんだからさぁ.

世界がスカイウォーカー中心になり過ぎ

このEP9の題名からも思うことだが,
「スカイウォーカーを探せ」「スカイウォーカーは過去の遺物」だとか,2015年からの「レイ3部作」はスカイウォーカーの話に寄り過ぎだ.

さっきと同じことを言うがスケールが小さく見えるのだ.

「フォースの覚醒」の公開時点でどういう方向性だったかは知らないが,スカイウォーカー一族ありきの話にしなければならなくなった現況は完全に悪名高いライアンジョンソンの「最後のジェダイ」からだ.

「ルークの教育ミスで弟子が暗黒面に奪われた」とか,「スカイウォーカーを葬らないと俺はベイダーに成れない」とか,あざと過ぎるぐらいにそっちの話に持っていこうとする

ライアンジョンソンがEP8を脚本まで掌握して好き勝手やったせいで,EP9までシナリオの方向修正を余儀なくされていることは想像に難くない.

EP8で「過去の伝説不要論」みたいなことしこたま描いた後に,
「スカイウォーカーの復活」ってw

要は下に書いたようなことが起きてるってことだ.

まるで漫画の連載みたい

読者の顔色をうかがいながら話の方向性を修正していく,それが漫画の連載というものだ.

このやり方,状況に応じて話を改編できる反面,通しで見るとそこまで話の完成度は高くないことも事実.

ディズニー制作体制のスターウォーズがやっていることは正にコレだ.

・ルーカスのSWでは

「シリーズものの映画なんてみんなそんなもんでしょ」と言われるかもしれないが,そういう問題では無い.

EP1~3,4~6では各々の3部作の大体の話のオチや流れは決まっていたという.例えばアナキン3部作のオビワンとアナキンの戦い,「溶岩の惑星での師弟対決」というプロット自体は「ファントム・メナス」制作前から決まっていたようだ.

つまり,ルーカスの中にあったスターウォーズ世界は全て一つの作品として,ほぼ完成していたということだ.

・漫画化とユニバース化の真似事

それに対してディズニー傘下のSW,漫画の連載に例えたように
EP7~9の3部作は最初から流れやオチがが決まっていたわけではなく,ディズニーの茶々入れによって行き当たりばったりで進んでいるということだ.

「まるで漫画の連載」っとバカにしてはみたが,これは今流行りの「ユニバース化」をディズニーがSWにも取り入れようとした結果だ.

ユニバース化とは,マーベルやハリウッド版ゴジラシリーズなどのように,次々にスピンオフ映画や大集合映画を生み出せるように,一つの世界や設定を共有してシリーズを制作していく体制である.

恐らくディズニーはこれがやりたかった.

ルーカスが自主制作体制の中で守り抜いてきた,緻密なプロットを基に制作していくことよりも,後の興業やシリーズ化を優先するために,行き当たりばったり,制作体制ブレブレで作っていくことを選んだのだ.



ディズニーの経営陣はあまりスターウォーズファンを舐めない方がいい.

こんな事情,大体ファンも分かってるから.

ドキュメンタリー映画「ピープルvsジョージルーカス」などで語られたように,もはやスターウォーズという映画は一個人の物ではない.

ましてここまであからさまにキャラクタービジネスの道具にされて,ファンがキレないとでも思っていたのだろうか.








「商売人に茶々入れされて,変に変えられるくらいなら,自分の金で自分で作るわ」

という態度を長年変えてこなかったルーカスの気持ちが本当に良く分かる.権利を売った瞬間案の定なんだから.

まとめ

エピソード9の邦題が決まったということでその感想と新シリーズに関して思うことを描いてみた.

もうどこのブログでも描きつくされてるような愚痴になってしまったが,そうなるのも仕方ないのが「ディズニーの権利ビジネス」の道具にされているスターウォーズの現状だ.

金儲けが資本主義の大前提であることは分かっているがこれではあんまりだ.

僕たちが憧れたスターウォーズの神秘性が金儲けのために失われていく気がするのは気のせいだろうか.

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